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五月になってしまいました。

五月になってしまいましたね。

なんとも、いやはや。全然更新してないという。僕の人生と銘打っておきながら、僕の人生の全体にはやはりなり得ないにしても、やはり、誇大な(?)文句を使ってしまった、と少し後悔、半分反省しております。

またしばらく、ブログを更新していこうと思います。だんだんさみしさもつのってきましたし、詩を書いたり、絵をかいたり、歌を歌ったり、歌をつくったり、朗読したり、演技したり、(全然うまくできぬけれども、何かしてないと不安なので)やって行こうと思う次第なのであります。

普通科)高校辞めて今、思うことは寂しいなってことです。寒いぐらい寂しい。「もう、いい加減に歩き出してもいいんじゃないか、このくそほら吹き野郎」と自分に言ってあげたいと思います。

鼻くそみたいな矮小で汚らしい人間ですが、生きていきたいと思います。

生きて生きて生きて、歌って歌って歌って、書いて書いて書いて

そうやって、僕である時間を過ごしてゆきたいものであります。

現世は地獄だとしても。

現世、現実が地獄だとしても、

僕は、笑顔で幸福でいようと思う。

ありのままに自分を愛して、

ありのままに自分を生きて、

ありのままに誰かを愛して、

生きたいと思う。

うしおととらという漫画のセリフで、

主人公が、地獄に落ちると言われた時、

地獄で幸せになってやると言った、その気持ち。

そういう意志を持った時、心が、命が沸き立つのだ。

我がままに、自分がままに、

僕たちを不幸にしようとする力を打ち破り、

幸福の戦いに挑んで生きたいと思う。

ただ、あなたであればよし、

ただ、幸福であればよし、

僕たちを切り裂き、不幸にしようとする力、

それを見極めよう。

そして戦おう、戦うことが幸福なのだ。

命を生き切るとははそういうことじゃないか

断片

命に核を。

私に意味を。

言葉をうみだせ、

言葉を汲み出せ

命に核を。

私に価値を。

命、

命の形、

命はどんな形だろう

炎のようか、雨のようか

僕に食べられたまずい餅のようか

 

命はどんな形だろう

見る命の形になっていくのだろう

隠したりせず、見つめて、愛して。

 

美しく変わっていく命

見つめよ。

生きて生きて生きて生きる。

生きて生きて生きて生きたい、

未来のことなどわからないし、

今の選択が正しい保証はないし、

誰かを傷つけたり、自分を傷つけたり、

苦しみを感じたり、焦りを感じたり、

不幸だって思ったり、怖れたり、不安だったり、

なりたいものになれなかったり、

恥ずかしいことがあり、

もう人生全部ダメになっちゃったって絶望したり、

たりたりたり、いろいろあるし、いつも正しく、

いつも善であることなんかできないから

正しくあることにこだわらず、善くあることにこだわらず、

ただただ、生きて生きて生きて生きたい。

精一杯、命のことを愛したいんだ。

自分のことを、誰かのことを、愛したいんだ。

悪でよいということではなく、

命を全部使って生きることが幸せなんだ、ということなんだ。

 

詩を書く気分。

「夢に追われる僕は」

 

いいな、いいな、いいな

羨ましがってばかり、焦ってばかり、

頭の中は片付かない。

結論や答えや正しさなんて見つからない。

「見つかった」と、思っても、

その感覚はするすると僕の体から抜け落ち

そして、探しに行くのだ。何度も、何度も、

のたうちまわりながら、胸かきむしりながら。

何度も、何度も、何度も。

 

「ぼくリズム」

 

潜水艦になろう。

追いかけることは辛いから。

潜水艦になるのだ。

光が眩しすぎるから、

バラが欲しくて欲しくて苦しくなるから、

ぎゅっと目をつむるのだ。

理想の世界はあたりまえではなかった。

美しいものは求めれば求めるほど、遠くへと…

今はただ、僕であるために

ぎゅっと目をつむるのだ。

義務感と使命感。

英語の勉強をして、世界史の勉強を久しぶりにして、思った。

勉強って楽しいなぁ、学んでいる自分を誇ることができるし、

学んでいくことで自分が広くなっていく気がするし、旅をしてるみたいだ。

そいうふうに思った。

しかし、「勉強」が義務であり、正義である今の社会の中で

そういう感覚を味わうことはなかなかできないことなんだと思う。

義務感って色々なものの価値を損なわせるな、と思うのです。

ありのままを感じながら、使命に燃えて生きて行きたいものです。

どこまでも内発的な価値の中で、生きて行きたいものです。

おやすみなさい。