負けない

負けない。勝つまで戦う。それだけだ。勝手に敵対視している。でも、それは悪いことじゃない。勝手委に敵対視しているのは人間に対してじゃなくて、言葉に対して、ふるまいに対して、芸術に対して、音楽に対して、歌に対して、でしかないから。僕がいいと思わなかったり、「違う」と感じるからといって、それを作る人や歌う人や言う人は全く価値を損なう必要はない。僕は僕が負けてない、これだ、これが命だこれが音楽だこれが僕だといえるものを作るだけだし作りたいし、全然形にできていない僕にとっては「違う」ものでも作るれること自体尊敬に値するとしか言いようがないけど。でも、だからこそ、負けない。負けずに作っていきたい。頑張りたい。頑張って、僕は僕の美しさを表したいし、全然表せないからこそ、実力不足だからこそ、苦しく辞めたくなるかもしれないけれども、僕は僕にできる一瞬を見逃さず、そこに全力になりたいと思う。命を大爆発させるような芸術をどうせなら作りたい。ちゃんと作りたい。もっともっとマイナスからのスタートだからこそ、楽しくなかったことも楽しめるようになるし、行動で人は変われることを、行動こそが人を作るということを、18からでも自分のイデアをちゃんと表せるようになれることを、証明したい。とにかく行動。苦しくても前へ進む。ちゃんと息しろよ。

魔法は使えない

崎山蒼志というアーティストがテレビに出ていた。彼は15才でありながら、魔法を使っていた。僕は魔法が使えない。大森靖子も魔法を使っていた。斬新で鮮烈な魔法をパワー全開で振り回している人だ。椎名林檎さんも、米津玄師さんも。魔法を使っていた。僕には魔法は使えなかった。天才、は、なるべくしてなる。僕も魔法を使えるようになりたい。なりたい。なりたい。彼らは、幼いころから、音楽にかかわっていた。でも僕は違う。僕はもう18歳だ。魔法が使えるようになるための時間は、僕に、残されているのだろうか。こんなに成長してしまった体で、0を1にし、1を100にする屈辱に僕は耐えられるのだろうか。耐えられない。

 

 

でも、耐えなきゃ何も始まらないんだ。

でも、どうすればいいのかわからない。教えてください。誰か。

日々は刻々と過ぎていく、僕は流される

毎日が刻々と過ぎていくんです。普通に生きてるだけじゃ。表現がしたい。美しく過程でありたい。プロセスでありたい。というより過程としての人生、プロセスとしての人生に価値を見出したい。みんなにわかってもらうために表現するのではないのです。わかんないよねっていうことを表現したいし、わかんないけどなんか綺麗だなとか、美しいな、いのちだなって思えるものを作りたいし、そんな自分の命を表現したいだけなんです。「お勉強」が目的ではないし、「斬新であること」「美しさ」が目的なわけでもない。ただの命を突き詰めたいだけなんです。めんどくさいことはなしがいいです。重ねて重ねて毎日を美しくしたいのです。わかるために生まれてきたのではないのに、「正しく」わかることを強要されるのは疲れます。分かり合えなくていいではないですか、みんなとおなじ「わかる」を共有しなきゃいけない表現、芸術、うた、詩、生死、なんてものぜんぜん楽しくない。孤独じゃなきゃ、美しさはどんどん殺されていくのだから。みんな何でもかんでも共有しすぎだし、僕がそれを強く感じてしまうのは、多分、相対性を自分に対し強要し、「わかりあわなきゃいけない」と脅迫しているからなんだと思います。振り子のように、独になりたくなるのです。他人の言うことを気にしすぎて、「みんな」と時間を共有しすぎて、僕がどきどきする、僕だけの美しさ、僕だけの楽しさ、僕だけの怒り、僕だけの悲しみ、僕だけの喜び、本当の自分の感覚がどんどん深く深く、沈んでいっているようで、死んでるみたいで、それがすごくすごくすごく嫌なのですなのですなのです。絶対としての自分を取り戻すために表現したいです。どきどきさせてあげたいし、喜ばせてあげたいし、哀しませてあげたいし、愛させてあげたいのです。

くんなくんなくんなくんな

なくななくななくなくなくな

僕はもう疲れた、もうすこし、もう疲れた

ラクしかしてない人生

ラクしかしてない人生

割には不幸だ

ラクしかしてない人生

逃げてばっかりの人生

愛がないから

やっぱり耐えらんない

何もできない

きっと、愛がないから

愛してほしいだけなの

自分を愛する意味がないと、生きられないの

あああ、もう無理

もう  無理

私は死

私はいつか死ぬの

私はここにいるの

楽しくなんてないけれど

苦しくなんかないけれど

確かにここ 息している

ここ 存在させてる

私を殺すもの

私を殺すあらゆる宇宙を破壊したい

破壊して、ぐちゃぐちゃにして

僕は涙も出ないのだ

涙を流すことができるほど、夢中になりたい

いつか、 いつか、 いつか、

涙を流せるほど

恥ずかしげもなく

だだ、だだ、ただ、

存在したい

命に夢中になれるのならば

僕は生きる僕をいかせるのでしょうか

 

 

 

宇宙は宇宙は宇宙

いろはいろいろいろ

ぼくはぼくはぼく

あああ、やっぱりもうだめだ

明るいものは嫌いなんだ

仲間外れはさみしいよ

僕が僕でロックで僕で

許されざるものだなんて誰も言わなかった?

僕がそう決めてしまった

許されざる 許さないのは僕だった

いろはいろいろといろいろで色褪せ

僕は音を飲み込んで

僕は四肢を切り刻んで

おなかいっぱいだったから

あんなに美しいはずのものも

うまく生きられなかっ      た

インセンティブと価値

インセンティブのために行動するとき人間は、そうでない場合に比べ、問題解決や目標達成に対する能力が落ちるということは何世紀も前から実験により証明済みのことらしい。

それは、人間が「今の価値」のために行動することが自然であることの証明でもある。インセンティブのために行動するということは、言い換えれば、「未来の何らかの成果」のために行動するということだ。しかし、そこでは、未来の不確かな価値のために今を無視した(とその当事者が感じる)状態ができるため、行動の当事者は今現在の行動に集中できず(なぜなら、価値があるのは今ではなく、結果が訪れる未来と過去の実績のみであるから)、結果的に行動の能率も下がるのである。つまり、インセンティブを重視する考え方(成果至上主義)とは、今現在に対する無価値感を増幅させる作用を持っているのである。これに対処するためには、プロセスや挑戦自体、生きていること自体への価値感(=自己肯定感)を高める必要性がある。そうすることによって人間は、今現在の行動に価値を見出すことができ、より、安定的に(精神的)幸福を感じながら生きられるようになる。それに伴って、人間の創造性が大きく開花し、人間社会の様々な問題が解決され、それによりさらに多くの人々が幸福を感じられるようになる好循環がおこることが予想される。つまり、環境(インセンティブ、外的要因)によって、精神の幸福が決まるという考え方にコペルニクス的転換をおこし、幸福というものをより主体的なのとしてとらえるべきだということである。具体的には目標達成や問題解決のみに価値を置くのではなく、そのために行動できること自体に価値をおくべきということだ。そして、そのように思えることを私たちはするべきなのである。

一直線に突き進まねばと思った。

今日は叔父様に久しぶりに会って話した。

なかなか、やりたいことを行動に移せない僕の状態を見抜いてくれたようで、

やりたいことあるなら、一直線に行動した方がいい!といわれた。

うだうだ考えてるうちに「やりたいこと」やれなくなるぞ、

お前はやりたいこと決まってるんだから、それ以外のことは考えず、命かけてやればいいだけの話だろ、と。

それを聞いて、少しショックだったけど、胸のつかえがとれたようなすっきりした気持ちになった。

今まで、(「普通」の人生に)よそ見して、不安になったり、

目的を見失って、自分は今「やりたいこと」をできていないと焦ってばかりいたから。

でも、その言葉を聞いて「やりたいこと」を「やるため」のことしかしないと決めたら、

きっと、あらゆることに価値を感じられるのだと思った。

全部、価値(やりたいこと)につなげられるのだから。

 

 

やりたいことあるんだから、それに命を懸けていった方が幸せだ。

なんで、こんな簡単なことに気づかなかったんだろうって感じです。

それがもし思ってたのと違って、あんまやりたいことでもないってなったら、

また、他にやりたいこと見つけて命かければいいだけのことだしね。

僕はどうやら、一度にたくさんのことをできるように器用にはできてないみたいだけど、

人は何かに命を懸けていれば、

未来なんて全然不安じゃくなるぐらい今を強く、価値的に生きられるもんなんだと思います。

未来もまた、今なんですから。

今日は面白くて尊敬できるアフィリエイターさんにも出会えたし、

叔父さんにも素晴らしいアドバイスをしてもらえたし、本当にいい1日だった。

すっげー、駄文になっちゃった。おやすみなさい。